探偵*九十九七五三二郎の推理走査
初出=2019年11月頒布のネットプリント
Prologue
渋谷駅ハチ公前に一晩で建造されたトーテムポール。複数の男が「ラッスンゴレライ」と唱えつつその周囲を囲む。街をゆく住人たちは怪しげな儀式を不安そうに見つめた。
Discours
Jefferson, もう夜だよ、と告げられて僕らは二人テントに還る◆Petrof《ペトロフ》は星のめぐりの導きのままに暮らしを営んでいた◆ Jefferson, mdong mo《ドンモ》を取ってくれるかいbod ja《プージャ》を淹れて温まりたい◆腰掛けたままに老爺は盲目のはずの瞳で空を見上げた◆しかるのち磚茶を淹れたPetrof《ペトロフ》は今日はそろそろおかえりと言う◆仕事着のドッグイヤーを外しつつひとり帰路へと着く道すがら◆珈琲とポテチを買ったコンビニは秋の終わりを予兆していた
Mercator
その男――出落啓治は字の如く、また字の如き刑事であった◆(新宿区花街二ノ八八ノ八・洲宮ビルの冷房の音)◆快適な冷気とは正反対に男は熱く辞弁を語る◆渋谷駅ハチ公前に一晩で建造されたトーテムポール◆かの像と対照的な失踪を遂げた一人の浮浪者のこと◆その彼が昨夜最後に会っていた「盲導犬」の男の談話◆マシンガン・トークを終えて徐に出落啓治は頭を毟る◆このところ彼は薬用シャンプーを試すチャンスをうかがっていた◆「成程ね」呟く九十九探偵は冷ややかな眼をソファへと向けた◆「率直にどう思うかね。メルカトル」問われたそれは溜め息を吐く◆メルカトル助手はさてな《beats me》と囁いてワンダースワンを握り直した
Pseudepigrapha
Our dears, harbor dogs. Our dears, hurriedly, make peace with cats.《輩よ、犬をしまえよ。輩よ、しかしてネコと疾く和解せよ》◆港区の六諭教会講堂に信徒の声の鳴りわたるころ◆辻占を終えて少女は地下鉄の窓に額をつけ眼を瞑る◆教会が渋谷に建てた神籬の胡乱な顔を思い出すごと◆この都市はもはや自分を逃さない流砂なのだと彼女は思う◆鈍色に曇る都心は誰からもまなざれないものに溢れて◆街角に降り来る夜の帳へと次第次第に沈んでいった◆助けてと呟くことに意味はない地点としての車両の中で◆静謐に唱えたラッスンゴレライが走行音に紛れて溶ける
Ecriture
……浮浪者の行方は走査できている、しかしだったら何があるんだ?◆人間《おまえら》は、ほんと、人間《じぶん》に興味などないのにそのくせ知りたがるよな◆メルカトル助手の皮肉が玲瓏としているときは愉しいときだ◆そのことを知りつつ九十九探偵は言葉を口にしあぐてねている◆「だがそれがクライアントの要望だ」などとうそぶく男の傍で◆もういっそ作家になれと銀髪のアンドロイドがくすりと嗤う◆蒼碧に澄んだ二台のアイカメラから放たれる視線の先に◆一本のビニール傘が沿道のガードレールに掛けられている◆今夜にも街を行き交う雑踏が降られる雨は何色だろう◆ジェファーソン青年と待ち合わせした青山の地に二人は向かう
Epigraph
珠算地獄は一見するとワイキキビーチを思わせる綺麗な浜辺。その砂粒はちょうどヒトの犯した罪の数と同じだといいます。 そこに落ちた亡者の手にはひとつのそろばん。亡者たちは来る日も来る日もそこで砂の数を数えなければなりません。 常夏の浜辺に照らす太陽が亡者たちの肌を健康的な小麦色に焼いていきます。 暑さからときどき発狂する亡者たちは眼前の海で入水自殺を試みるのですが、すでに亡者なので死ぬこともできません。
そんな日照りの海辺に向けて届くともわからないボトルメールをいくつも投げ入れること、そのようなたかが手紙がいかに無力だったとしても、 いま目の前に茫洋と広がるこの海があるいは亡者たちの海にまで確かにつながっていることが、彼らの心にわずかばかりの安らぎをもたらすことを願ってやみません。
最終更新